社会理論入門

社会理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈2〉 (ニクラス・ルーマン講義録 2)

社会理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈2〉 (ニクラス・ルーマン講義録 2)

読みやすいけどやっぱりよくわからない。前に出てるシステム理論入門もそうだけど扱う範囲が広範でかなり駆け足なのでとっかかりとしてはどうなんだろう?という感じがする。もうちょっとじっくり読むべきなんだろうがとりあえず流し読み程度。要再読・精読

以下メモ

主著『新しい科学的精神』(1934年)においてバシュラールは、経験論と合理論の対立の乗り越えを図る。バシュラールはしばしばカール・ポパーと正反対と評されるが、乗り越えを目指したという点は変わらないのである。バシュラールに従えば、科学認識論には観念論(観念実在論)と唯物論を両極とするひとつのスペクトルがあるが、合理的唯物論はその中間に位置する。

科学史上の著作においてバシュラールの筆鋒は、帰納主義と経験論の両方の批判にむかう。科学的事実とは、理論的問題設定があって初めて構成されるのだという。科学は、明証性すなわち直接的認識がもたらす幻想に抗して形成される。これがバシュラールのいう「否定の哲学」である。したがって、科学史という仕方で知識を得ようとすると、「認識論的断絶」つまり前科学的な思考と断絶することが求められる。バシュラールの表現に従えば、新しい知識を得るには「認識論的障害」を乗り越えることが必要なのである。

バシュラールにとって、あらゆる認識は近似的認識にすぎない。「科学において真実とは積年の誤謬を歳月をかけて正していくことと考えられ、経験とは万人が抱いている当初の幻想を修正していくことと考えられる」。 バシュラールは認識論上の対立を調停しようとしている。経験論と合理論の対立を乗り越えなくてはならないというのだ。「内容空疎な合理論でもなく、支離滅裂な経験論でもなく」。「適応合理主義」ないし「合理的唯物論」を用いてはじめて科学的活動がおこなわれるのである。

バシュラールの思想は多くの点でフェルディナン・ゴンセトに近い。両者は研究誌『ディアレクティカ』の編集に携わっている。

ガストン・バシュラール - Wikipedia

オーストリア出身でユダヤ系。

後にアメリカで活躍した心理学者。ゲシュタルト学派に属する。

グラーツ大学で学位をとったのち、ベルリン大学でヴェルトハイマー、コフカ、ケーラー、レヴィンらゲシュタルト心理学者と交流をもつ。ハンブルク大学でシュテルンの助手を務めていたとき、アメリカに渡っていたコフカの招きを受け渡米。クラーク大学付設の聾唖学校に職を得て聾唖者の心理学的研究を行なう。コフカの後を継いでスミスカレッジに移り、第二次世界大戦後はカンザス大学で長く教鞭をとった。

ハイダーの主たる業績は社会心理学における社会的認知の研究にゲシュタルト心理学の発想を持ち込んだことにある。認知的斉合性理論のさきがけである認知的バランス理論(認知的均衡理論)、1960年代から1970年代にかけて数多くの関連研究を生み出した帰属理論は、いずれも彼が提唱したものである。

フリッツ・ハイダー - Wikipedia

コミュニケーションとは生きている有機体による一つの行為である

struktuelle Kopplung

オートポイエーシス理論の概念。

相互に自律的で閉鎖的でありながら、相手のシステムの環境条件をつくりだしているようなシステム間の関係。一方のシステムにとって、他方のシステムは環境としてのみ作用しており、当該システムにとって有意味な環境状態の変化を媒介としてしか、両者は関係を持たない点で、あくまでも互いに閉鎖的な関係にとどまるが、相互に環境的条件となっているという点で、相互依存的な関係となっている。

たとえば、あるシステムAが環境の要素xを利用しているとき、環境にxを安定して存在させる効果をもつシステムBと偶然、場を共有するとしよう。このとき、別の要素yについて平行して逆の関係も成り立っていればカップリングはなお安定的だろう。このような場合、この偶然のカップリングは安定して存続する構造的傾向をもつようになるが、しかし、それぞれのシステムは自律的で閉鎖的な「他者」のままにとどまり、カップリングされた他のシステムは、適応できる環境条件となるものであれば他のものでもいいという意味で、理論的には偶然的なものとみなすことができる。

構造的カップリングとは - はてなキーワード

コルナ (corna) はジェスチャーのひとつで、人差し指と小指を立てて中指と薬指をたたみ、そこへ親指を添えるジェスチャーである。地中海諸国では侮辱的な意味を持つ。このジェスチャーの起源は古代ギリシアまで遡るとされている。コルナは、イタリア語で角(つの)を意味する。

このジェスチャーには悪運や邪視を祓う意味もあるほか、サタンやサタン崇拝とも関連性がある。

<中略>

イタリアでは、伸ばした2本の指を角に見立てて本人に見つからないように後ろ頭から出す、あるいは妻(稀に夫)に騙されていることを示唆するために相手に突きつけたりする。イタリア語 cornuto は角を持つ意であるが、暗喩としては不貞の妻を持つ夫を意味しているのである。

<中略>

これらの起源はミノタウロスの伝説まで遡ることが出来る。彼はパシパエと白い牛の間に生まれ、クレタ島のミノスに背いた。角の生えたミノタウロスは、裏切りの最も顕著な証となり、シンボルとなっていったのだ。

コルナ - Wikipedia

ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842年3月18日 - 1898年9月9日)は、19世紀フランスの象徴派の系譜に入る、アルチュール・ランボーと並ぶ代表的詩人。代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『ディヴァガシオン』など。

<中略>

彼の思索は、その文学中心主義に特徴がある。「世界は一冊の書物に至るために作られている」という彼自身の言葉がそれを表している。後に『ディヴァガシオン』(1897年)に収められるさまざまな分野にまたがる評論・批評(バレエ、音楽、絵画、あるいは政治事件など)は、常に文学の問題へと収斂されていく。例えばバレエを「身体で描くエクリチュール(文字、書く行為)」ととらえて表現した有名なことばなどは、20世紀の舞踊論に大きな影響を与えたが、芸術の表象が記号として機能していることを早くに喝破した。

<中略>

マラルメの、高度に難解な思想の可能性は現代に入ってようやく理解され始めてきた。サルトルブランショらはマラルメの文学に関する思索と営為の可能性を示し、特に「書くとは何か」という点でテル・ケル派や現代思想家、とりわけロラン・バルトミシェル・フーコーデリダらにも影響を与えている。文学者クリステヴァらはマラルメを現代詩人のさきがけととらえ、詩人のイヴ・ボヌフォワは幾分かの留保をしつつも、積極的にマラルメ詩学について多くの思索を行っている。

ステファヌ・マラルメ - Wikipedia
  • 文字は(すくなくとも同時間軸の)コミュニケーションの手段として生成したわけではない(読める者がいない)
    • では誰が、なんのために文字を発明した?
    • ローカルな記録メディアとしての文字が、いついかにしてテレコミュニケーションを担うようになったのか?
  • 習得するべき文字の少なさ(学習効率の高さ)がアルファベットの覇権の前提であり必然であるならば、江戸期の日本と同時期の欧米での識字率の有意差はどこから来たのか?
  • BC600〜500にかけての新しい語の創造?

p.156 日本語とアルファベットの密度の差について

p.167

チューリンゲンの某所以外にキリル文字の活字をもった特別の印刷所が皆無だったため、ロシアでは18世紀にいたるまでずっと、手作業の書記による複製の方が、印刷による複製よりも安価で済んだ

  • ページ数の丁付けは印刷技術以前(手書きの書記業者)の時代からあった

p.169 新しいものが古いものを凌駕するという見方は、印刷技術(複製技術)のもたらした副次的効果ではないか?

宗教運動がギリシャで起きなかったことが、ギリシャの都市において、より抽象的で一般的な、しかも一貫して道徳的に構成されているような神学が形成される代わりに、個別分野の特殊な発展をもたらす原因となりえたのかもしれない

p.262 「意味」というメディア

 プルーデンティアとは,ギリシア語の「プロネーシスphronesis」のラテン語にあたり,日本語では,「思慮」「賢慮」「知慮」「知恵」「実践知」「実践的理性」などと訳される倫理学の「徳」に関する用語である。プラトンは『国家』第4 巻において4 つの枢要徳(知恵sophia・勇気andreia・節制sophrosyne・正義dikaiosyne)を挙げているが,そこではそのうちの「知恵(ソピアー)」がプロネーシスと同様の概念として捉えられている。

<中略>

 アリストテレスもすでに指摘しているように,プロネーシスは道徳・政治・法律などの「人間的な事柄」を扱う領域であり,「他の仕方でもありうるものを考察する分別をめぐらす部分」に関することである。それゆえ,数学や物理学のような「他の仕方ではありえない諸原理を持つものを考察する学問的な部分」である厳密な学問的知識(エピステーメー)ではありえず,あいまいさを常にはらんだものである。そこで求められるのは,絶対的な「真理veritas」ではなく,ドクサや推論に基づく実践的な「真理らしさverisimilia」である。

ルイス・ビーベスの『学問論』におけるプルーデンティアの概念について

新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)

新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)

アレクサンダー・A・ゴールデンワイザー(Alexander A. Goldenweiser, Aleksandr Aleksandrovič Goľdenvejzer, 1880年1月29日 - 1940年7月6日)はウクライナ出身の人類学・社会学者。

1880年ウクライナキエフで生まれる。1900年にアメリカに移住。フランツ・ボアズの下で人類学を学び、1910年にコロンビア大学で博士号を得る。

その後コロンビア大学ウィスコンシン大学、リード大学などで教えた。

アレクサンダー・ゴールデンワイザー - Wikipedia

重商主義(じゅうしょうしゅぎ、マーカンティリズム(mercantilism))とは、国家の産業として商業を特に重要視した経済思想および経済政策の総称。

<中略>

15世紀半ばから18世紀にかけてヨーロッパで絶対主義を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができる。チャイルド、クロムウェルやコルベールらが代表者。

いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれる)の発達を促すもとになった。

日本においては江戸時代中期の政治家・田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明・佐藤信淵・帆足万里の経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。

重商主義 - Wikipedia

重農主義(じゅうのうしゅぎ、英: physiocracy)とは18世紀後半、フランスのケネーなどによって主張された経済思想およびそれに基づく政策である。

<中略>

富の唯一の源泉は農業であるとの立場から、農業生産を重視する理論であり、重商主義を批判し、レッセフェール(自由放任)を主張した。この考え方はアダム・スミスの思想に大きな影響を与えた。

また、史上初めて創始者と共通の思想を持った経済学派であるとされる。

<中略>

「physiocracy」とは、「physeos kratesis(自然(の秩序)による統治/支配)」という言葉に由来していると言われている。

ケネーは『経済表』を作成してその自然が形成する秩序の姿を明らかにしようとした。彼は社会は神によって創造された自然秩序に基づいて形成されるものとして人為的な社会契約説には批判的であった。自然秩序は物理・道徳の両法則によって形成され、自然法と実定法はこれを制御するために生み出されたものである。人間は自然法則によって自己の欲望を満たしたいとする欲求を実現する権利を持っており、その実現を保障するのが自由権と財産権であり、国家は実定法を用いてこれを保障する義務を持つと唱えた。また、同時に彼は農業によって生み出された剰余価値(純生産物)が農業資本の拡大再生産をもたらす。一方、商工業は農業がもたらす原材料がなければ何も生産出来ず、生産者としての価値は存在しない。農業生産の拡大再生産による恩恵が原材料などの形で商工業に流れることで初めて商工業が発展すると唱えた。

重農主義 - Wikipedia

シャフツベリ*1の命題

馬鹿になるもっとも巧妙な方法は、体系によるものである

パンデクテン方式(パンデクテンほうしき)とは、民法典において、一般的・抽象的規定を個別的規定に先立ち「総則」としてまとめることにより、法典を体系的に編纂することに主眼をおいた著述形式である。日本の民法典は、パンデクテン方式によって構成・記述されている。対する形式がインスティトゥティオネス方式(de:Institutiones)

<中略>

パンデクテンとは、『ローマ法大全』のうち著名な法学者の学説を編纂した『学説彙纂』(がくせついさん。希 pandectes,羅 pandectae/digesta,独 Pandekten/Digesten)のことである。19世紀のドイツ私法学では、『学説彙纂』を重視した概念法学が隆盛を極め、パンデクテン法学 (Pandektenwissenschaft) と称された。パンデクテン方式は、パンデクテン法学の代表的学者であるベルンハルト・ヴィントシャイト(de:Bernhard Windscheid)が著した『パンデクテン教科書』で用いられ、後にパンデクテン法学の成果として結実したドイツ民法典(1900年成立)で用いられたことから、この名で呼ばれる。

パンデクテン方式 - Wikipedia

ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel、1858年3月1日 ベルリン - 1918年9月26日 シュトラスブルク)は、ドイツ出身の哲学者(生の哲学)、社会学者である。ジムメルと表記されることもある。ドイツ系ユダヤ人(キリスト教徒)。

社会学の黎明期の主要人物としてエミール・デュルケームマックス・ウェーバーカール・マルクスなどと並び称されることが多い。

<中略>

彼の哲学は、ニーチェショーペンハウエルと共通点をもつ生の哲学だが、大学の世界で薫陶を受けているため、それをカント以来のドイツ観念論の系譜で一般的な用語法を持って語るという、なかなかユニークなもの。「断章」などにも本人が書いているように、知的遺産の後継者には恵まれなかったが、彼の思想は彼の提唱する形式社会学に結実した。形式社会学に含まれるその考え方はアメリカにわたり、社会学シカゴ学派、そしてシンボリック相互作用論に大きな影響を与え、定性的研究の源流のひとつとも言われるようになった。

ゲオルク・ジンメル - Wikipedia

社会分化論 宗教社会学 (現代社会学大系)

社会分化論 宗教社会学 (現代社会学大系)

社会学の根本問題(個人と社会) (SEKAISHISO SEMINAR)

社会学の根本問題(個人と社会) (SEKAISHISO SEMINAR)

借済

ポリス/オイコス

アーレントの政治思想における政治概念は古代ギリシア都市国家、ポリスでの政治が参照されている。ポリスで政治生活を営むことは暴力ではなく説得によって意志を決めることであり、ポリスの外部にあるものは家庭、オイコスの生活と捉えた。ポリスとオイコスは相容れない領域であり、ポリスの領域は、そこでの行為が活動であるために公的領域(public realm)である。その一方でオイコスの領域での行為は労働であるためにオイコスの性質は私的領域と言える[2]。

公的領域は他者に働きかけることで自己が誰かを明らかにする領域であり、逆に私的領域ではそのような性格が根本的に奪われている。ただし人間は公的領域での生活と私的生活での生活の両方が不可欠である。私的領域が存在しなければ人間の生命維持のための生活が成り立たないからである。しかし公的領域と私的領域を混合すると大きな問題が生じる。

つまり自己の生命維持という私的領域で扱うべき問題が公的領域で扱われる事態が生じるのである。もしも政治の役割を富の再配分と考えれば、それは公的領域が持つ本来的な政治が失われることになるのである。政治にとって重要なことは個々人の生命を超えて存在する共通の世界である。したがって私的領域から公的領域へ移るためには自己の存在を超えなければならない。

人間の条件 - Wikipedia
オイコス
oikos ギ)家 ecology economyの語源

*1:どのシャフツベリなんだろう?初代?孫?