これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
- 作者: マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本
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いろんなことに波があって、なんだかいろいろよろしくない
本を読める時期とまったく読まない時期が交互に来る。
箱○が他所へいってしまったので、これもいい機会かと思いなんとか通読。
これからメモとりがてら2周目にはいるがその前にざっと印象だけ書いておきたい
前半と後半でかなり間があいてしまったこともあり、1周目のつもりでちゃんと読めていない部分もかなりあるだろうから、以下に書くことは間違って受け止めたりたんなる誤った印象に基づいている可能性がある。と断ったところでたいして意味などないだろうが…
わりと一気に読めた前半の魅力的ないくつかの設問と裏腹に後半にかけて尻すぼみになり、それにつれて読みづらくなっていくような印象
そもそもアメリカの社会を前提として「正義」を語ろうというのがなんとも滑稽ではないのか?とか
いきすぎた功利主義やリバタリアニズムへの反動としての保守回帰という気もしないでもない
カント、ロールズはともかく後半のアリストテレスの目的論を持ち出してくるのがどうにも釈然としない。単なる意味論回帰でしかないのではないのだろうかとか
結婚や同姓愛に関する価値観というか感覚の違い、ひいては宗教にもとづく道徳観の根源的な違いにむしろ愕然としたりとか。そこに無自覚なまま、充分に相対化しないままで議論の俎上にのせてしまうことにもある種の危うさを感じないでもない
「正義とは何か」という問い立てよりも、現代アメリカにおける、ある種の回帰、市場原理主義の行き詰まりがもたらした自我分裂と、依然として解消されないまま拡大する奇妙な歪みとをむしろ鮮明に描き出しているような気もする。そしてそこに、「正義の原理」でもってその病理を解体し解消しなんらかの昇華なり解釈なりをもたらそうというのであれば、それはきわめて不健全ということにならないだろうか。それはまた正義をふりかざし内的歪みを外部への暴力の行使で解消するアメリカのロジックでしかない
最後まで読んで思うのは、結局はこの人は保守でしかないのだと。リベラルを相対化し、市場原理主義や自由主義を否定しても、結局美徳による裏打ちを求め、意味や目的こそが正義を決定付けると結論付けるなら、多様な正義と多様な美徳を否定する理由もまたないような気がする。つまりカタチを変えた宗教にすぎないのではないだろうか
現代アメリカというか現代の多様な社会を救うには、いくら過去2000年にわたって拡張を加えたとはいえ、やはりキリスト教起源の包括的な世界観構築に限界があり、キリスト教を含めた既存の宗教に変わる新しい価値観の提示を求められているということだろうか。それもなんともきもい話だ
基本的にわかりやすい本で、一気に読めると思うが誤解を招きかねないというかあえて誤解を招くような文脈構築がままあるような。どちらかというとアーレントの「政治とは何か」の方が面白かった気がするし、メタな話なら理論社会学側からのアプローチの方が個人的には興味をそそられる。充分に読めてないのかも知れないし、その可能性は高い。基本的にサンデルの言ってること全般に懐疑的ではある。