ルーマン/社会の理論の革命

ルーマン/社会の理論の革命

ルーマン/社会の理論の革命

例によって流し読み
それはいいが、思いのほか時間がかかった。いくら2段組で600ページ超とはいえ、風邪をひいて停滞したとはいえ、時間かかりすぎだろjk。そのわりには消化不良である(というかそれを言ったら全部消化不良だけれども)。量が多すぎたし、スルスルっと読めなくてつっかえつっかえ読んだ。精読するつもりでとりかかってればまた違うんだろうが。こういうパターンはえてして挫折しがちなので早めにあきらめて次にいくべきだったのかも。
読みながらノートとれなかったので返す前にもう一度拾い出ししないとな…


内容も内容だしお値段もそれなり。9500+税が高すぎるとは思わないが価格分回収できるかというと現段階の俺の理解度ではまだ難しいかなと。
全体に読みづらさはあってあまり好きではないな。網羅的ではあるので辞書をひく感じで使うのがいいのかなぁ…ちゃんと嫁や!というのはおいといて…


しかし内容的にも量的にももっと高いレベルの読解力が欲しいんだぜ
というのもこれぐらいの分量を問題なく読み下しつつ割合精密に把握してかないとこれからつらいだろうなぁという予感

以下メモ(2010.08.25追記)


馬場靖雄 評 - 長岡克行著『ルーマン/社会の理論の革命』合評会 - ルーマン・フォーラム
↑の頁要再読


社会学的方法の規準 (岩波文庫 白 214-3)

社会学的方法の規準 (岩波文庫 白 214-3)

社会は諸個人のたんなる総和にあるのではなくて、諸個人の結合によって形成された体系をなすのであるが、この体系は、それ固有の諸属性をそなえた独自の実在としてあらわれる

デュルケム『社会学的方法の規準』

不明確なことはただ、この結合の独自性を規定するということにあった。というのも、ひとは結合されるものなしに結合を考えることができるであろうか。理論のこの空白が埋められないかぎりで、くりかえし後戻りがでてくることになる

ルーマン『社会の社会』


p.28 <システムの分析水準>

  • システム(systeme)
    • 機械
    • 生体
    • 社会システム(soziale systeme)
      • 相互行為(Interaktionen)
      • 組織(Organisationen)
      • 社会(Gesellschaften)
    • 心的システム


p.49 「同一性を実体として理解する伝統的な存在論から脱却するための方法としての機能主義」


実体概念と関数概念――認識批判の基本的諸問題の研究

実体概念と関数概念――認識批判の基本的諸問題の研究

functionか、なるほど。機能じゃなくて関数と訳したわけね


p.192 「自分は、自分が見ないということを見ないということを、見ることができない」が、知ることはできる(観察者)

(すべての観察するシステムは操作するということへの実在依存性をともなった実在的なシステムであるが)観察の操作的な遂行という実在性から、それら観察の客観性を推論することはできない。


p.220 ノイラートの船

ウィーン学派の中心人物の一人、オットー・ノイラート(1882-1945)が『アンチ・シュペングラー』(1921) で用いた比喩。彼によれば、知識の総体というのは港の見えない海上に浮かぶ船のようなもので、そのような状態でなんとか故障を修理しつつやっていかなければならない。「われわれは船乗りのようなもの--海原で船を修理しなけばならないが、けっして一から作り直すことはできない船乗りのようなもの--である」。

この比喩は、知識に関する基礎づけ主義を批判して用いられている。すなわち、基礎づけ主義によれば、ある批判不可能な土台(となる命題)があり、その上に建てられた体系(諸命題)も、土台から論理的に導かれているかぎり批判を受けつけないものである。これに対し、ノイラートの船の比喩が含意しているのは、知識には土台は存在しないこと、また、全体が沈んでしまわないかぎり、部分的にはどの部分であっても修理をすることが可能であることである。

NEURATH'S BOAT

オットー・ノイラート(Otto Neurath、1882年12月10日(ウィーン) - 1945年12月22日(オックスフォード))は、オーストリアの科学哲学者、社会学者、政治経済学者。ナチスによる占領を受けてイギリス亡命を余儀なくされるまで、ウィーン学団の指導的人物の一人であった。

ウィーンに戻ってから彼が始めたプロジェクトがやがて、教育を受けていないウィーンの大衆に複雑な社会経済の事実を伝えることを意図した「社会経済博物館」に発展することになった。このプロジェクトを通じて彼は、グラフィックデザインと視覚教育の研究へと向かうようになった。イラストレーターのゲルト・アルンツ(Gerd Arntz)やマリー・ライデマイスター(Marie Reidemeister. 後にノイラートと結婚し、マリー・ノイラートとなる)の協力を得てノイラートはアイソタイプを発明した。これは視認性の高いアイコンによって定量的な情報を記号的に一目で理解させようとするものであり、のちにエドワード・タフト(Edward Rolf Tufte)が喧伝するようになる種類の、定量的情報を表示する視覚的方法でもあった(関係するアイデアは、バックミンスター・フラーやハワード・T・オダム(Howard T. Odum)の仕事にも見出せる)。ノイラートが仲間たちと共にデザインした記号は、読み書きのできない人々や専門家でない人々でも社会変化や不公平を理解できる一助として、さまざまな国の人口統計と社会統計をその量に応じて表現し、19世紀から20世紀初頭にかけてのこうした統計に見られる変化を図解してくれるようなものであった。この仕事は地図学やグラフィックデザインに大きな影響を与えた。彼が各地の博物館で行った革新的な仕事や、マリー・ライデマイスターの役割であったデータと統計を視覚的な形状へと変化させる「トランスフォーマー」(transformer)という概念は、博物館や展示会の実際的な活動に影響力を持った。

まず、ノイラートは、言語と実在の同型性を無益な形而上的空想として退けた。そのような議論は、語と文がどのようにして外部世界を表象し得るかの説明を求めることにつながりかねないからである。かわりに、ノイラートは、言語と実在は一体であると考えた―つまり、実在とは言語活動において既に検証された文の総体にほかならず、文が「真」であるか否かは既に検証された文の総体との関係に応じて決まる、と言うのである。もしある文が検証済の文の総体と「調和」していない(言い換えれば、整合的でない)ならば、その文が偽とみなされるべきであるか、総体を構成する諸命題のいくつかに何らかの変更が不可欠であるかどちらかである。彼の考えでは真理とはこのように、世界内の物事やそのほかの実在にかかわるものというよりもむしろ、言語的主張相互の内的な整合性の問題とみなされる。その上、検証の基準は体系全体に適用されるべきであって、個々の文に適用されるべきではない。このような考え方は、クワインの「確証の全体論」に深い影響を与えた。

また、ノイラートは、科学はセンスデータの用語によって再構築されるべきであるという意見にも反対した。科学の形式的再構築のための確実な基礎を提供するには、知覚経験は主観的過ぎるから、という理由である。彼の見解では、多くの実証主義者がまだ支持していた現象学的言葉遣いは、数学的な物理学の言語に置き換えられるべきである。時空座標に準拠する数学的物理学の用語を使えば、ここで必要な客観的定式化が可能になる。このような諸学への「物理主義的」アプローチは、諸学を物理的事実にかかわるさまざまな主張からなる一つの体系へと還元するから、形而上学の全ての残滓を除去するのを容易にするだろう。

最後に、ノイラートは、言語それ自体も、一定の秩序をもった音又は記号の連続によって構成されているのだから、一つの物理的体系であり、従って言語が自身の構造を記述することができるのは何の矛盾でもないと示唆した。

今日なお心の哲学をはじめとする形而上学において支配的な立場であるある種の物理主義は、これらのノイラートの思想によって、その基礎の形成を助けられた。

オットー・ノイラート - Wikipedia

モナド(Monad)はライプニッツの案出した存在を説明するための概念である。ギリシア語 μονάς monas モナス(個、単一)、μόνος monosモノス(単一の) に由来する。単子と翻訳される場合もある。

モナドはこれ以上分割できない究極の個体という原子論的側面だけでなく、可能的な述語をすべてその概念に含むものとしての主語と言う論理学的な側面、精神の神学的・形而上学的なモデルという側面を併せ持つ。

ライプニッツは、現実に存在するものをそれを構成しているものへと分析していくといつかはそれ以上分割できない(部分を持たない)非延長的な実体に到達するに違いないと考えた。これがモナドである。ライプニッツによれば、モナドは構成されたものではなく、部分を持たない、厳密に単純な実体であるが、にもかかわらず属性として状態を持つ。属性を持たなければすべてのモナドは区別できず、複数のモナドがあるとはいえなくなるからである(不可識別者同一)。このとき、或る状態から別の状態への変化の傾向性を欲求という。

この「状態」は他のすべてのモナドの状態を反映する。すなわち、究極的には無数のモナドから、そしてただそれだけからなる現実世界全体の状態(ということはすべてのモナドの状態)に、個別のモナドの「状態」は対応する。これがモナドの持つ「表象・知覚」能力である(モナドは鏡である)。しかしモナドは部分を持たない厳密に単純な実体であるから、複合的なもの同士が関係するような意味で「関係」することはできず、厳密に相互に独立している(モナドには窓がない)。

したがってこの表象能力、他のモナドの状態との対応は、モナドの定義からいって不可能であるところの外的な「相互関係」によるものではなく、ちょうど、あらかじめ時刻を合わせた二つの時計のような意味での、神の創造の時点で予定・調整された「調和」である(予定調和)。モナドの状態の変化は、可能性としてそのモナド自身が有しているものの展開であり、厳密にそのモナドの先行状態にのみ由来する。

モナド - Wikipedia


<コミュニケーション>

生命や意識と同様にコミュニケーションもまた、それ独自のひとつの創発的な実在でなければならない

ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環

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コミュニケイション的行為の理論 上

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エティカ (中公クラシックス)

エティカ (中公クラシックス)

経験と判断

経験と判断

デカルト的省察 (岩波文庫)

デカルト的省察 (岩波文庫)



p.377 註10

ルーマンはいわゆるフランス現代思想に関心を抱き続けたのであり、関連する文脈の中でたいていの論者に論及している。したがって、ルーマンの諸著作には人間主義・人間・主体という問題群に関係して、ミシェル・フーコーへの立ち入った論及があってもよさそうなのに、それが見当たらない。

フーコー―知と権力 (現代思想の冒険者たち)

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構造人類学

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ゲームの理論と経済行動〈1〉 (ちくま学芸文庫)

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コミュニケーションの数学的理論―情報理論の基礎 (1969年)

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道徳回帰とモダニティ―デュルケームからハバーマス‐ルーマンへ

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構築主義とは何か

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理論への抵抗

理論への抵抗

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))


p.650 合理性連続体の解体