なんとなく引用

大学の後輩と、昼食を共にする。ちょっと相談したいことがあって、と言われて静かに話せる場所へと移動する。用件がすみ雑談のなか、彼がこういう。あなたは人を選ぶよね、選んだ人だけをみてるよね、と。不意をつかれた僕はふと無口になり、わかるんだ、とゆってその先を濁す。愛情が差別的であることがもたらす悲しみから人が逃れることを、僕は許すことができないのかもしれない。愛情の、生々しいまでのその選択的なあり方を人は剥き出しにすべきではないのだろう。それを隠そうとする配慮が人と人との間を満たしてはじめて、ある倫理的な生活が可能となるのかもしれない、わからない。ただ、そうした愛情のあり方が悪であり、そして人を惹きつける、ということはいえるだろう。そうした愛情に選ばれることを暗く喜ぶ心根を、人は多く持つように思う。翻って自らを鑑みるに、そうした人のありようを前に、僕はある種の優秀さを擬装し、また弱さと悪とを擬装して、そう少なくはない人間から愛情を引き出してきたように思う。それは僕へ向けられた愛情ではないのだけれど、それを彼らは僕への愛情と感じ、また僕もそれを暗く喜ぶ。そうして愛情を引き出して、また僕は去るだろう。確かに他者を傷つけた、という感触と、悲しげに僕を憐れむ目線とを僕に残して、人もまた僕を去る。僕に憧れる後輩は少ないだろう。しかし僕をある種の優秀な人間であるとは思うだろう、そしてまた不器用な人だとみるだろう、そして穏やかな憐憫と愛情とを僕に注ぐだろう。そして僕と一定の距離を保つ限りにおいて僕は彼らに「有用な人間」として立ち現れるだろう。そして時間が経つと去るだろう。挨拶もせずに、振り返りもせずに、僕は去るだろう。そうして人を去る僕を、しかし彼らは憎めない。僕が弱いために憎めない。憎むことを許すような仕方では、僕は彼らを立ち去らない。不幸な関係だろう。すまない、と思う時、それはすでに事後であって、誰も何もかえってはこない。

21歳かぁ…