http://www7a.biglobe.ne.jp/~so5/d2/im/name.html
ところがどっこい
大正期における代表的な急進的左翼・無政府主義者として知られる大杉栄は、愛人で思想的同志である伊藤野枝との間に大正六年(1917年)に娘をもうけました。その娘に大杉は「魔子」という一風変わった名を付けたのですが、その理由について大杉自身が『二人の革命家』序文でこう述べています。
「僕等があんまり世間から悪魔!悪魔!と罵られたものだから、つい其の気になって、悪魔の子なら魔子だと云ふので魔子と名づけて了つた」(大杉豊編著『日録大杉栄伝』 社会評論社 211頁)
世間からの悪評に対する反発心が背景にあったとは言え、いくらなんでも「悪魔の子」はちょっとあんまりな気がします。流石に母親である伊藤野枝は反対したそうなのですが押し切られてしまったとか。因みに、両親が関東大震災直後に暗殺された後、魔子は「真子」と改名したそうで、やはりその名前のままでは生き辛かったんでしょうね。ただでさえ、世情からいって無政府主義者の子というだけで風当たりは強かったでしょうし。
明治から昭和初期にかけて活躍した女流歌人・与謝野晶子は夫・鉄幹との間に十一人の子をもうけましたが、そのうち四男にアウギュスト、五女にエレンヌと名づけています。アウギュストという名は、パリで彫刻家ロダンに面会できた事にちなんでだそうで、晶子の息子への期待と愛情が込められたものと理解してよいでしょう。とはいえ、色々と気苦労が多かったようで後にアウギュストは「碰」と改名しています。晶子は文学活動の傍らでよく子供達を育て上げた愛情深い母親として知られていますが、そんな彼女でもハイになったのかやらかしてしまう事はあったのですね。
近代知識人の命名の一例~近代日本のDQNネーム~ : とらっしゅのーと
無政府主義者大杉栄のいかれっぷりはともかく、与謝野晶子なんて困窮したあげく里子に出してますからね、エレンヌちゃん*1。里子にもらったほうでもさぞやびっくりしたでしょう「今日からお世話になります。名前はエレンヌよ」とか言われた日にゃ。変な名前つけるのはいいけど、せめて最後まで面倒はみてあげて!
- 作者: 松村由利子
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まだまだいるぞ
重森三玲庭園美術館で説明してくださった由郷さんの夫君によれば子供には三玲が尊敬していた人の名前を付けたということなので、三玲(ミレー)はフランスの画家Jean-Francois Millet(本名は計夫 1925年、29歳の時改名)、長男完途(カント)はドイツの思想家Immanuel Kant、次男弘淹(コーエン)はドイツの哲学者Hermann Cohen、 長女由郷(ユーゴー)はフランスの詩人Victor Hugo、三男執氏はドイツの詩人Johann Wolfgang von Goethe 四男貝崙(バイロン)はイギリスの詩人George Gordon Byron からとられたのだろう。
http://homepage2.nifty.com/K-Ohno/a-map/Kyoto/3692-ZKH-garden/07-ZKH.htm
おまえらみんなめちゃくちゃだな、ほんとに…
*1:三、四、五女が里子に出された