細貝 栄

  今回は、絶食の実験中で、南アを絶食しながら縦走しているとのことで、黒戸尾根から入り、3〜4日掛け、食事を落とし、後は1日20グラムの黒砂糖だけで行動しているそうで、始め1週間はとても苦しく、1日の行程もコースタイムの1/3か、1/4位しか歩けなかったが、1週間ほど前からは気分も爽快で行動も普通にできるそうである。
 目的はどの程度の絶食が可能か知ることで、今後の山における食糧持参計画の参考にしたいためと、断食療法の効果を知りたいためだそうであるが、それにしても素晴らしい精神力である。今日で15日目で、南ア全山縦走して、時間が余れば、八が岳の縦走をやりたいとのことで、話は尽きない。

http://homepage3.nifty.com/hidaka/hosogaisakae.htm

恐怖と憧れで胸がヒリヒリするほど思い詰めていた滝沢第二スラブも、1974年3月.長谷川恒男と岳志会のパーティーによって同時に初登攀されてしまい、さらに翌年にはマイナースラブまでもわずか10日の差で初登をさらわれてしまう。
1970年代後半というのは、主だったルートは開拓し尽くされ、ダブルアックスと前爪アイゼンでスピーディーに登るピオレトラクション技術の登場により、「冬の滝沢スラブやルンゼ登攀は自殺行為である。」という冬期ルンゼ登攀の神話も崩れてしまった。そんな時代だ。初登攀争いにほんの少し遅れてやってきた激情派クライマーは、やり場のないエネルギーをぶつけるようにして、危険な一ノ倉沢のスラブやルンゼ群をソロで片っ端から徹底的に登りまくった。五ルンゼ(冬期初登)、三ルンゼ、二ノ沢本谷、二ノ沢右壁〜Aルンゼ、幽ノ沢三ルンゼ(すべて冬期ソロ初登)、滝沢第一スラブ〜Aルンゼなどなど…。

http://matsudogakujin.typepad.jp/tama/2008/05/post-7df0.html