84 hours

震災からまもなく84時間
既に1万と数千人の人々が救助されたが、最終的な犠牲者がどれほどになるのか、まだ見当もつかない
私は日本人的特性のすべてが好きとは言わないが、こと職務にあたっての日本人的心性を信頼しているし、この未曾有の災害にあたっても、あらゆる場所であらゆる名も無き人々が、それぞれの責務を最大限果たすべく献身したであろうことを知るまでもなく知っている。しかし、そうであったとしてもやはり、救われる命と救いえぬ命がそこにあり、数えきれぬ奇跡とともにまた、数えきれぬ悲劇が起こることを、避けることはできないということもまた知っている。
おそらく、被災地において、あの言葉に尽くせぬ光景のただなかで、報道にけしてのらない夥しい死のただなかで、数多の人々がその心と身体をを削る思いで救出作業に従事していることだろう。それでも、既に80時間を過ぎ、いま現に消えつつある命の灯火のすべてを、それが消えてしまう前に救い出すことが到底不可能であることは、私にでもわかる。
それは致し方ないのだ。運命がただ無慈悲な選別によって救われるものとそうでないものをわかつのを止める術は人にはないのだから。
だから私は祈り、ただ悲しむ。救い出された人々のために、救い出せなかった人々のために、愛する者の帰りを待つ人たちのために、親を亡くした子のために、子を亡くした親のために、そして、これを書いている間にも失われていく命のために、なにより、消えていく命を守れなかった私たちすべてのために


私たちはなんと無力であったろう。そして、なんと無力でありつづけるのだろう…
願わくば、一人でもたくさんの命が、一人でもたくさんの父や母や子が、愛する者の元へと帰ることができますように