とむらい師たち

この映画面白すぎて最後まで見れなかった。
伊丹十三が「お葬式」で描いた「人の死にまつわる滑稽」を、さらにシュールに崩壊させたような映画。空回りといえば空回りだろうし、ギャグにしてはどこかおかしな力の入れようではある。
なにしろ勝新演ずるデスマスク屋だが、勝新デスマスク屋ってだけでどこか笑えるのに死体に馬乗りになって顔面に石膏をリズミカルに叩き付けはじめるからもうおかしいを通り越して空恐ろしくさえある。「おもしろくねえことがあったから」って理由で霊柩車を乗り回したあげくスタックしたり、伊藤雄之助演じるモグリの医者と組んで死体の美容整形(いまでいうエンバーミングだなぁ)に乗り出したりやりたい放題。
それでいてバカバカしい笑いが生まれるかというとそうでもない。滑稽は滑稽だが撮る方も演る方もどちらも大真面目であって「笑えない面白さ」であり「笑えないがゆえの面白さ」なのである。その真面目さや愚直な情動のほとばしりというものは、三隅の、というより勝新の持つキャラクターのせいなのかも知れないが、そこが「空回り」と評される所以でもあったろう。
しかし今の視線であらためて見直すと、やはり万博直前という既に「脱・戦後」と言われてひさしい戦後日本の空気の中で、あくまで死と向き合おうとする勝新の姿そのものの滑稽さと、その滑稽になってしまう「時代の雰囲気」に向けられた怒りが、勝新の暴走によってなにか得体の知れない現象へと昇華してくようにも見える
語彙不足ゆえうまく説明することができないが、どこを切ってもただただ「シュール」としかいいようがないし、その「シュールさ」というのはいわゆる「シュールな笑い」と言われるようなシニカルなものでは全くない。この作品の「シュール」とは、いうなればあの時代そのものが持つ不条理なのかも知れない


撮影は宮川一夫。原作は野坂昭如(なぜか変換できる)。

似たような種類のシュールさと暴走エンドでこれを思い出す

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