松田宏也

登キャン板から

松田宏
1955年大分県佐伯市生まれ。1978年同志社大学経済学部卒。1979年市川山岳会に入会。1982年同会のミニヤコンカ遠征に参加。山頂直下から奇跡の生還を果たすも凍傷で両足と両手指を失う。1986年冬富士単独行。

ミニヤコンカ奇跡の生還 (yama‐kei classics)

ミニヤコンカ奇跡の生還 (yama‐kei classics)

http://homepage2.nifty.com/m_hayaka/book/bn2084.html

 凍傷に侵され感覚を失った両手(指)と両足、岸壁を下りラッセルを繰り返しC2に到着するも、サポート隊は2日前にキャンプを撤収し下山。残されたメモから、自分たちは疲労凍死したものと思い込まれたと知る。

 さらに壮絶な下山が続く、パートナーが遅れだし、やがてホイッスルでの合図も途絶える。凍傷で手足の機能は完全に失われ、はいつくばっての下山。突然、腹部に激痛。胃に穴があいたのだ。のたうちまわりながら「見捨てたんじゃないんだ。分かってくれ!」友の名を叫び懸命になって弁解、許しを請う。

ここまでくるともう俺程度の山歴だと感覚としてわからないな
19日後に現地の人に発見・救助されるも両手指10本切断、両足首のくるぶしの上10cmから切断。しかしそれでも山に登り続けるというのは常人には理解しがたい世界だ。


ミニヤコンカ遭難が1982年のこと
http://ojizosan.com/ojizosanhomepage/kongetsubook.html

1984年の2月、「大将」と呼ばれていた登山家から一本の電話が入りました。

「安道礼、松田宏也さん、知ってる?」
「えーと、中国のどこかの山で遭難した人のことですか。テレビで彼の話を何回か...」
「えー、彼です。来週の土日、冬の八ヶ岳に連れて行こうと計画をしていたがどうしても自分は行けなくなった。代わりに、行ってくれないか。」
「えぇ?確か、凍傷で両足を切断されたでしょう。」
「そう。でも本人は冬登山の活動を再開したいのです。義足でね。『登りには問題がないはず』と本人が言ってますが、下りはちょっと心配ですから、急なところではザイルで下ろしてあげてね」と言われました。

次の土日、南八ヶ岳の行者小屋で初めて松田さんに会いました。コタツに入って、指のない両手に缶ビール...彼の後ろ、2本の義足は霜のついた壁にもたせかけていました。

次の日、私の相棒の風間さんと3人で小屋を出ました。松田さんを先頭に阿弥陀岳を登りました。頂上に到着したら、快晴、無風状態そして目の前の真っ白な富士は偉大な完全な姿でどっしりと座っていました。

私たちも雪の上に座って、ビールで乾杯をしました。下山する直前に「松田さん、ザイルを出してほしいなら、言ってね。

彼は言わなかった。一人で登って、一人で降りました。そして次の日、吹雪の中、赤岳に登りました。そしてまたまた一人で下りました。

85年、11月の穂高
86年、冬富士単独
88年、厳冬期の北海道斜里岳
95年、シシャパンマ峰に遠征、最終キャンプの7430mまで自力で到達


生還してからスキーもはじめたらしく、とあるブログでお写真を拝見したが顔だけみたら普通の中年という感じでとても"鬼"には見えなかったです