というわけで死ぬことにした

なにかを言わなければいけないような、なんか変な気分
これってまた死ぬ予感なのかなぁ…
まあでも遺書書こうってほど切羽詰った感じはしないんだけど、なんだろね?
あと2時間ほどで出発だというのにぜんぜんそんな気がしなくて、いやこれもいつものことなんだけど、なんか微妙な心持ち
なんで生きてんだろうなぁ、みんな、いや俺もだけど


なんとなく欲求不満です
セックス!セックス!


一昨日あたりからずっとオケゴDAYSで、自分でもどういう心理状態なのか分析不能
去年の今頃より死はずっと身近になった気がするのに、具体的ななにかをカタチづくるほどのなにかでもなくて、死ぬにしても、あきらめたり投げ出したりすることなく、前向きに精一杯死ぬべきなんじゃないだろうか、と思ったりもします
首吊ったりとかガスとか薬とか練炭とかサンポールとか、そういう安易で確実で、どっかの誰かにやり尽くされたような"死"の様式《モード》をなぞったところでね、とひねくれてみたところで惨めな気分は否めないんですけれども
もっとこう、高度で難易度の高い"死"を望むべきスタイルで望むべく死するべきではないのだろうか、と


青臭い理想論、とお思いでしょうが、青臭くなく死んで、それでなんの自死なのか、と逆に問いたいです
だから、これから真面目に一生懸命、あらんかぎりの努力を死ぬことに振り向けようかな、という決意、的な?
全力で、正しく、なんら後ろ暗いことなく、諦観や投げやりな気持ちからではなく、"死"というものをその身に体現する、という崇高な気持ちでもって死に臨みたいなぁと、いやそうできればなあと
なのでもうしばらくは全力で山に登りたいと思います
他のことはどうでもいいじゃない?
いや良くないけど、何一つ置き去りやなおざりややり残すことなく死のうと思ったら、まだまだたくさんの「やらなければならないこと」ってのが見えてくる気がしませんか?
無為に嘆いたり逃避してる暇があるなら、やるべきことをすべきですよね、死ぬために


訪れるべき死が訪れたその時に「ああ、やっぱりな」と思いながら、死ぬ、ではなく、"死"になる、いやこれはA氏のネタです
まあそんな感じで