仕事いきたくねー

結局俺はどうしようもなくどっぷり首まで仕事に浸かるか、さもなければニートかっていう極端な生き方しかでけんのやろうか?
いやバランス良く生きる、いわゆるワークライフバランスのとれる仕事に就くことの難易度が高いのか
そうすると望まぬ仕事にずぶずぶとはまるか、すべてを投げ捨ててニートするかの2択しか残らないと
結局余暇というのは平時の負荷が軽すぎても充実しないのだよな。
極端な話、無職には余暇というものはなく、社会に必要とされ、十分な報酬を得て人生設計を立て、その上で余暇というものはちゃんと成り立つわけで(この部分は登山にもボランティアにも当てはまる。これについては後述)
いずれというか早々に今関わってる現場は離れないとな、これ続けてもなんにもならないし


無職が山登ってもそれは社会を放棄した、あるいは社会から放棄された人間が山に居るというだけのことにしかならんのよ。もちろん"登山家"なる人間が広告塔として、あるいは代弁者として社会と対峙することの必要性はあるけれど、それはそれなりのキャリアと"語るべき言葉"、"語り得る人物"でないと社会の納得は得られないわけ。
で、ボランティアも実際集まってくるのは無職とかそれに近い人間だったりはするけど、本来的には真っ当な職と人生設計を持った人たちが自分自身の時間を割いてあたるのが当然だろうという思いはあって、たとえばそれが「仕事辞めてきました」とか「キャリア棒に振って来ました」とかでもいいけど、そういうものは必要だよねって
もちろん"持たざる者"であるが故にできること、わかることってのはあるけど、ボランティアされる側ってのは元々"持てる者"の側であったし、"持てる者"に戻らなきゃいけない人たちなんだよ。そういう人たちに何も持たない俺が、俺ごときがどうやってきちんと向き合って「助けにきました」などと言えるのかと
結局そういうことじゃないかな