これはひどい

あまりにもひどいのでストックしとく

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20091010-OYT1T01070.htm

ウィニー無罪 それでも大切な技術者の良心(10月11日付・読売社説)

 どんな技術も使い方次第だ。だが、悪用されないよう努めるのが技術者の良心ではないか。

 インターネットを経由して映像などのファイルを交換するソフト「ウィニー」を開発した元東京大大学院助手が著作権法違反のほう助罪に問われた事件の控訴審で、大阪高裁は逆転無罪の判決を言い渡した。

 1審の京都地裁は、ウィニー利用者の多くが違法コピー映像などを交換することを知りながら、ウィニーをネット上に公開したことがほう助に当たるとした。

 高裁は、ほう助の範囲を限定した。1審のように悪用を知りながら提供しただけでは足りず、悪用することを「勧めて」ソフトを提供した場合に限るとした。

 ネットを介した不特定多数へのソフト提供は、高裁判決が述べた通り「新しいほう助犯の類型」だろう。どこまで罪を問うべきか判断が分かれたのは致し方ない。

 1審判決に沿うと、ウィニーの悪用が続く限り、元助手が無限にほう助罪に問われかねないとの高裁の指摘ももっともだ。

 ただ、結果は逆転無罪でも、元助手に社会的、道義的責任がないと言えるだろうか。

 ウィニーも他の技術と同じく二面性がある。情報交換に役立つと同時に違法コピーの流通にも悪用できるため、両判決とも「価値中立のソフト」と認めている。

 だが、特徴である「匿名性」ゆえに、悪用されると違法な利用者にたどり着くのが難しい。このため違法コピー流通や、規制強化が求められている児童ポルノの交換にも依然、使われている。

 1審判決も、匿名性が悪用を促すと指摘している。元助手は悪用を控えるよう呼びかけたこともあるが、これほど悪用されると予想はしなかったのだろうか。

 ウィニーを狙ったウイルスソフトも蔓延(まんえん)している。感染したパソコンから、公的情報や個人情報が漏れる事件もなくならない。

 絶対に安全な技術はない。技術者は、むしろ謙虚に、より安心して使える仕組みを工夫するというモラルがあって当然だろう。

 ネットは世界中につながっている。子どもから大人まで多様な利用者がいる。悪用されたときの影響の大きさを考えれば、技術者のモラルは一層重い。

 政府も、違法なネット利用の監視と取り締まり体制を強化することが求められる。安全なネット利用につながる技術開発も後押しすべきだ。必要な法制度の検討も進めていかねばならない。
(2009年10月11日01時13分 読売新聞)

まず、これを書いた人間の氏名すらあきらかにしていない。記者名すら明らかにせず、「ネット上の匿名性云々」を批判しようというのか?この記事の文責はどこにある?
第二に、これを書いた人は法律をなんだと思っているのだろうか?この記事を読むかぎり「無罪だが社会的、道義的責任を免れたわけではない」としか解釈できないのだが、こんな物言いは司法制度をないがしろにしているとしか言いようがない。というよりも、「法が無罪と言っても俺は許さない」と言っているに過ぎない。どれだけ偉そうなのか。謙虚さを持つべきなのは一体どっちだ?
第三に、そもそもネットは是だがネット上の特定技術は否であるという主張そのものに矛盾がある。TCP/IPは是だがWinnyは否であるなどと主張するのは愚の骨頂だ。この記者はインターネットの仕組みを理解していない。ネットにおけるあらゆる技術は情報の交換を円滑にするべく生み出されてきた。TCP/IPしかり、WWWしかり、検索エンジンしかり、YouTubeしかり、Twitterしかりである。おきまりのように振りかざす「自己責任論」はどこにいった?
法律は法律、技術は技術である。それ以上でもそれ以下でもない。法も技術も理解していない人間が、偉そうにどうこう言うべきではない。ましてや、マスメディアという公器を用いてあからさまに見当違いな言説を垂れ流すべきではない。そちらこそむしろ害悪である


金子氏ほどの技術を持った人間が一体どれだけいるというのか?
この無用な法廷闘争で氏が失った時間的損失、なによりも、本来開発そのものに向けられるべきだったモチベーションに対する損失はいかばかりか
ろくすっぽ法整備もせず、社会的コンセンサスも経ず、ひとりの技術者を裁こうとしたことをむしろ恥じなければならない。裁くべき法すらないのに検挙するなど司法を騙った暴力以外のなにものでもない
いい加減にしろ
はっきり言って怒りしか沸いてこない