彼らは生きていた (2018)

ピーター・ジャクソン監督

WW1のドキュメンタリー?になるのかな?

原題は "They Shall Not Grow Old"
ローレンス・ビニョンの1914年の詩 "For The Fallen"(戦没者のために)の一節だが、元のフレーズは "They shall grow not old, as we that are left grow old"(残された我ら老いれども、彼らは老いず)で grow と not の語順が入れ替わっている

帝国戦争博物館(IWM)*1が所有する映像とIWMとBBCに残された当時の英軍人のインタビューで構成されている
白黒のフィルムは着色され、効果音と、読唇術で解析した音声が映像に付け加えられている

入隊

おおらかな戦争、歳を誤魔化して入隊する若者たち、若者にとっての戦争のはじまりはいつも同じ、ちょっとした冒険のつもりで恐ろしい戦場に志願する

戦争がはじまると復員兵が再招集され軍曹に昇格、経験者が新兵を指導した


軍装品はかなり不足していたらしい

4年軍にいたが軍服は一着だけだった

キルトを支給されたが下着がない
"下着は未支給"と書かれたメモを渡された
トラムの2階に乗ることを固く禁じられたよ

軍の不可解な点は、ボタンの汚れに厳しいのに手入れ用品を支給してくれないことだ

なるほど、線が一本だから"兵長"ベーコン [Lance-Corporal Bacon] なのね

ジャムがプラム&アップルしかなかったのが相当不満だったらしい

(軍靴の)革を柔らかくするには中に小便をして一晩おくんだ

タピオカを食ってたのか当時

水冷のヴィッカース機関銃
短弾倉式リー・エンフィールド小銃
胸掛け式の弾薬ポーチには.303ブリティッシュ弾が150発

"嵐の1分間 (Mad Minute)"*2 = 1分間に10発射撃する速射訓練

出陣

(行きの船で)下士官の犠牲者が多かったので昇進はうれしくなかった、だからトイレで袖章を外して窓から投げ捨てた。そして兵卒として甲板に戻った

塹壕

(前線の塹壕までの移動は)必ず案内人(ガイド)がいた、フランスの塹壕線は複雑で案内なしでは迷う

第1線、第2線、支援線は第1線から45メートル後方、それらをつなぐ交通壕

とにかく紅茶を飲む

有刺鉄線に刺さったまま置き去りの死体

50人の部隊で90Mの前線を担当

前線勤務は4日交代

勤務は2時間、休息4時間

ヴィッカース機関銃は水で冷却するんだが、連射し続けるとその水が沸騰する。そんな時は紅茶を作った

水の容器はガソリン缶(専用の容器の支給がなかった)

清潔な水も不足していたらしい

トイレ事情は最悪

衛生面では相当劣悪だな当時は

シラミ

フランス軍の待避所に2年間置きっぱなしのビスケットが
カビの味がしたが腹は壊さなかった

自分に当たる弾の音は聞こえない
音速を超えて飛んでくるからだ

死体、悪臭、ネズミ、そして毒ガス

マスクがなければハンカチに小便をかけて顔を覆う

冬が近づくにつれ塹壕は水浸しになっていった
最後はもはや水路に

どんどん水位が上がっていき胸にまで達した

塹壕

戦況が落ち着いていれば前線は楽しかった
休日に友達とキャンプをしてる感じだ
多少の危険はむしろ刺激的

捕虜について

ドイツ兵の多くは友好的で
バイエルン人は特に善良だった
狙撃はできても人は殴れない

ヴァルテンベルク出身の負傷兵の世話をしてやった
彼はプロイセン人を憎んでた

サクソン人は交代前に言い残した
"後続部隊はプロイセン人だ"
"地獄をみせろ"と
プロイセン人は嫌われてた

無慈悲で野蛮だからだ

プロイセン人がめちゃくちゃ嫌われている

バイエルン人やサクソン人は比較的まともで
イギリス人に近い

まあサクソン人は民族的にもイギリス人(イングランド人)と近いしな

休養

4日勤務の後は1週間の休養

戦争のまっただ中にしては皆陽気だった
置かれた状況を精いっぱい楽しむ
それがイギリス人さ

そんなセルフイメージもってたのかよイギリス人

連隊の運動会

航空偵察した標的を3キロ後方から砲撃する
火砲の運搬は馬

尉官から給料をもらう
通常は前線を引き揚げた翌朝だ
金額は5フラン
1フランは10ペンスなので2週間の稼ぎは50ペンス
1週間たっぷり遊べる

当時は50ペンスもあれば1週間たっぷり遊べたらしい
現在は1ポンド=100ペンスなので1ポンド=150円とすると現在の貨幣価値で75円ほどということになるわけだが、1914年(大正3年)当時の企業物価指数が0.618、2015年(平成27年)の企業物価指数が710.5と貨幣価値(物価)が1,149.7倍になっているので現在の価値に直すと86,227.5円(1ペニー=1,724.55円)
1ポンド=20シリング=240ペンスで換算すると35,928.125円(1ペニー=718.5625円)ということになる

売春宿

少年たちは普通よりずっと早く大人になった
(売春の)料金は1シリングほど

ギャンブル

カナダ人とオーストラリア人は大金を賭けていた

ビール

ビールは薄く、1:9ぐらいに薄められていた

タバコ

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金曜がタバコの支給日
銘柄は(当時一般的な)スリーウィッチズ(スリー・ビッチズ)[The Three Witches] かレッド・フザール(ユサール)[Red Hussars]*3

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大きな村ではウッドバイン [Wild Woodbine] やプレイヤー [Player's Navy Cut] が買えた
それらは支給品よりずっと味がいい

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前線もきついが後方もきついよという話

後方からの輸送には軽便鉄道 [Light Railway] 、ナローゲージ狭軌)、車輪と台座だけの軽便機関車 [Light Locomotive]

そしてここでも紅茶

煙でドイツ軍にバレるので主にガソリンエンジン(ペトロ・エンジン)の機関車を使っていたと言っているが映像に出てくる機関車には石炭車も多い
場所によって使い分けをしていたのかもしれない

交通壕までは鉄道で、その先は人力で補給物資を運んだ

戦車

誰かが言った
"クリスマスには帰れる"
"あれを見ればわかるさ"と
見に行ってみると…
防水カバーで覆われた物があった
四角い輪郭しかわからない
将校が"極秘だぞ"
何かと尋ねたら"タンクだ"と
水が不足してたのでてっきり予備の水タンクかと
だが秘密兵器だった

夢のマシンの登場に皆が歓喜した
"すぐに帰れる"と
だが甘かった

突撃

(飛んでくるのが)弾丸だとわからなかった

バタバタと人が倒れ左右の仲間がどんどん減っていく

"何が飛んでる?"と思った

19歳じゃ 死を前にしても振り返るほどの人生がない
ただ"生き残れるか?"と考えていた

"お前のシャベルが狙われてる"と言われ
振り向いたらそいつが頭を撃たれた

ドイツ兵も塹壕から撃ってきた
彼らは実に勇敢だった

白兵戦には奇妙な歓喜があった
仲間のかたきを討てるという思いだった

銃剣の戦い方は1つだ
全力で突き刺すだけ

タンクを背負ったドイツ兵がホースで炎を噴射させていた
当時は火炎放射器など聞いたこともなかった
23人が(焼き)殺された
胸を撃ったが そいつは防弾具を着用してた

はじめて見る兵器としての火炎放射器
火炎放射兵は防弾具を着用しているあたりが実にドイツっぽい

最後まで粘ったのは機関銃兵だ
とにかくノンストップで撃ちまくる
弾薬の箱が山と積まれてた
精鋭ぞろいの機関銃兵は最後まで戦った

戦闘の終わり

600人で突撃し、生き延びたのは約100人

うちの隊は将校と軍曹を失い
兵士の4分の3が死傷

犠牲者の大半は工場から追い出された10代の少年たちだ

埋葬された戦死者たちは17~18歳のほんの少年だった

捕虜のドイツ兵は負傷者の搬送を率先して手伝った
ジュネーヴ条約の定めでもないのに

捕虜とはお互いに友好的で見張りがつかないこともあったと

ドイツ兵はいい戦闘員だ
敵でなく味方に欲しかった

彼らにしてみれば敵はフランスやロシアでイギリスではなかった

終戦

終戦で)仕事をクビになった感覚だ

1914~1918の間にイギリス兵100万人が戦死か…

帰還

完全装備でブーローニュ港からフォークストン港へ、乗船前に弾は廃棄し小銃は持って乗船
列車でヴィクトリア駅へ

兵舎へ行き、小銃や銃剣を返却した
スーツや帽子や靴が用意されていて気に入ったものを選ぶことができた

帰還兵への態度

帰還兵への風当たりは強かった
"帰還兵は応募不可"などという求人もあった

帰ってきたイギリスでは人々は帰還兵に冷たく、既に終わりを迎えた戦争には無関心だった

秩序のある世界を離れ、泥にまみれた我々に感謝の言葉などは何もなかった

皆、同じような扱いを受けてた
市民生活は別世界だ
軍の仲間とはわかり合えるが一般市民とは話が通じない

ランボーと同じ問題やね

理解の範ちゅうを超えていたのだろう
昔のサッカー仲間が横で殺される気持ちを理解できるはずない
一緒に入隊し、戦死した友人の遺体は変色するまで放置されていた

泥やシラミは想像できても
常に砲撃の恐怖にさらされる緊張感は想像できまい

結局、戦争がどんなもので戦場がどんなところかというのは語り得ぬことなのかもしれない
戦場を知る者は語り得る言葉を知らず、戦場を知らぬ者はそもそも想像することができない

とはいえ、近代の戦場というものを知らぬ当時のイギリスの人々に、フランスで繰り広げられたような塹壕戦を想像してみろ、と求めるのは過酷というものだろう
なにしろイギリスにとって大きな戦争は100年前のナポレオン戦争以来なのだから


我が祖父に捧ぐ

そうか、ピーター・ジャクソンの祖父はWW1に従軍してたんだ
1910から1919までイギリス陸軍に勤務、最終階級は軍曹と