津波の霊たち

津波の霊たちーー3・11 死と生の物語

津波の霊たちーー3・11 死と生の物語

p.65

「夫は毛布を持ち上げました。すると、うなずきながら担当者の男の人に何か言いました。それを見たとき、わたしは思ったんです。なんのためにうなずいているの? うなずかないで。お願いだからうなずかないで。近づかないように言われていましたが、わたしはすぐに駆け寄りました。千聖がそこにいました。体は泥で覆われていて、裸でした。眠っているかのように、とても穏やかに見えました。わたしは体を抱きしめて持ち上げ、何度も何度も名前を呼びましたが、答えは返ってきません。呼吸を取り戻そうとマッサージしても、効果はありません。頬の泥をこすり落として、口の泥も拭き取りました。鼻のなかにも、耳のなかにも泥が詰まっていました。でも、手元には小さなタオルが二枚しかありませんでした。ひたすら泥を吹いていると、すぐにタオルは真っ黒になりました。ほかには何も持っていなかったので、自分の服で泥を拭いました。千聖の眼は半開きでした。あの子はそうやって寝ることがよくありました。とても深い眠りのときの姿と同じでした。でも、眼には泥がついていました。タオルも水もなかったので、わたしは千聖の眼を舌で舐め、泥を洗い落とそうとしました。それでも、きれいにすることはできませんでした。泥がどんどん出てくるんです」