http://d.hatena.ne.jp/durrett/20101212/1292126821のつづき
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
- 作者: マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本
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- 「正義」とはなにか?というより、ベンサム的功利主義・ミル的自由論・リバタリアニズム(自由至上主義)・ロールズの主張する格差原理へ反駁
- けして面白くはないが60万部以上を売り上げているということは、ここに書かれていることをある程度前提として話を進めることができるということであり、それこそがこの本の価値なのではないか?
第1章 正しいことをする
まず1章の前半では(ハーバードの)学生にとって馴染み深いトピックでもあるハリケーン・チャーリー、PTSDに対するパープルハート勲章、リーマンショックに伴う企業救済についてとりあげ、市場主義・自由主義の限界と、「美徳」という観念が「正義」を語る上で欠かすべからざる要因の一つであることをあきらかにする。そして「正しさ」へのアプローチは「幸福・自由・美徳」という3つの観点からなると主張する。
1章の後半では有名な「トロッコ問題」とアフガンの羊飼いを例に出し、功利主義の限界を暴こうとしている。これは単に「トロッコ問題」という道徳的課題に対する解答を求めているわけではなく、「トロッコ問題」を一つの試金石として、学生または読者のひとりひとりがそれぞれの道徳に対する考え方をそれぞれが持っている原則に照らしたときにどうであるか?さまざまに条件を変えた場合でも一貫した態度を保っているか?と問うものである。そこには「トロッコ問題」という課題が功利主義に対する一つの疑義を内包していることによる主題のすり替え*1が行われているが、それは「自身を功利主義者である」と考える人々にとっては踏み絵として作用する。すなわち人数を根拠として「1人より5人を救うべきだ」とするのが正しいとするならば、その功利主義的根拠はあらゆる場面で適応しうるはずだという主張であり、そうでないならばそこには「功利主義に基づかないなにか」であるということになるからである。
冒頭のこの功利主義への問いかけは、後の章で取り上げられるさまざまなケースについて繰り返し問われることになる。
- p.13
われわれは幸福と経済的繁栄を同一視しがちだが、幸福とは社会的福利の非経済的な面をも含むより幅の広い概念である
- p.16 美徳をめぐる政治哲学的課題
政治哲学は、議論に具体的な形を与え、選択肢の道徳的意味をはっきりとさせる
- 幸福の最大化
- 自由の尊重
- 美徳の促進
- p.29
ある社会が公正かどうかを問うことは、われわれが大切にするもの――収入や財産、義務や権利、権力や機会、職務や栄誉――がどう分配されるかを問うことである。公正な社会ではこうした良きものが正しく分配される。つまり、一人ひとりにふさわしいものが与えられるのだ。難しい問題が起こるのは、ふさわしいものが何であり、それはなぜかを問うときである。
- p.32 トロッコ問題
- p.36 アフガニスタンのヤギ飼い
- p.37 AK48?AK47の間違い?
- p.41
道徳についての考察が、自分の下す判断と支持する原則の一致を追求することだとすれば、そうした考察はいかにしてわれわれを正義、つまり道徳的真理へ導くのだろうか。
ここではっきり「正義=道徳的真理」と述べられているのは注目にあたいする。
- p.43
この本は思想史の本ではない。道徳と政治をめぐる考察の旅をする本だ。旅の目的は、政治思想史において誰が誰に影響を与えたかを明らかにすることではない。
そうではなく、読者にこう勧めることである。正義に関する自分自身の見解を批判的に検討してはどうだろう―そして、自分が何を考え、またなぜそう考えるのかを見きわめてはどうだろうと。
第2章 最大幸福原理――功利主義
第2章では冒頭でミニョネット号事件を例に出し、徹底した功利主義者、ベンサムの最大幸福原理とそれに対する2つの反論(1.全体の利益のために個人の権利を侵害していいか? 2.ベンサムの言う「効用」を共通の尺度であらわすことはできるか?)を、具体的なケースを例に挙げながら解説する。
つづいてベンサムの理論に人権的修正を施そうとしたミルを取り上げ、自由、すなわち個人の権利を尊重すればそれは功利主義の否定に他ならず、効用の尺度について質的評価を加えようとすれば、それは結局効用以外の道徳的理念に拠らざるを得ないと喝破する。功利主義への2つの反論に対するミルの主張は、自身の考えとは反対に功利主義から逸脱し、その限界を露呈してしまっているというのがサンデルの見解である。
- p.44 ミニョネット号事件
- p.47 ベンサム(功利主義)→ベンサム - Wikipedia
- コミュニティ=構成員の総和からなる「架空の集団」
- p.52 コロセウムのキリスト教徒
- p.53 拷問の正当化?
- p.55 アーシュラ・K・ル=グィン『オメラスから歩み去る人々』
SF作家としては、両性具有の異星人と地球人との接触を描いた『闇の左手』(ヒューゴー賞、ネビュラ賞両賞受賞)で広く認知されるようになった。代表作は他にユートピアを描いた『所有せざる人々』 (同じくヒューゴー賞、ネビュラ賞両賞受賞)がある。SF界の女王と呼ばれ、「西の善き魔女」とあだ名されている。
アーシュラ・K・ル=グウィン - Wikipedia父親はドイツ系の文化人類学者のアルフレッド・L・クローバーで、1901年にコロンビア大学でアメリカ合衆国初の人類学の博士号を取得し、カリフォルニア大学バークレー校でアメリカで2番目の人類学科を創設した[2]。母親は、夫が研究で係わったアメリカ最後の生粋のインディアン「イシ」の伝記を執筆した作家のシオドーラ・クラコー・ブラウン。
- 作者: アーシュラ・K・ル・グィン,Ursula K. Le Guin,小尾芙佐
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/09/01
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- 作者: アーシュラ・K・ル・グィン,丹地陽子,小尾芙佐,浅倉久志,佐藤高子
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第3章 リバタリアン
3章ではリバタリアン(自由至上主義者)への、つづく4章では市場原理主義への解説と抗弁を試みる。「分配をめぐる議論」ではマイケル・ジョーダンを例に挙げ、考えうるリバタリアンへの反論と、それに対するリバタリアン側からの反論を述べてみせる。そして自己所有権をめぐる議論では、臓器売買と自殺幇助、合意による食人という極端な例を用いてリバタリアン的自由はどこまで許容されるのか?と問うている。
- ハイエク『自由の条件』1960
- ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』1962
- ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』1974
- 分配をめぐる議論
- 自己所有権
- 臓器売買
- 自殺幇助
- pp.98-99 合意による食人
第4章 市場原理への抗弁
第5章 カント
第5章ではカントの考える道徳の理念を解説する。カントの考える道徳観念において、「誤解をあたえる真実」と「真っ赤な嘘」とはどう違うのかをクリントン大統領のケースを取り上げて解説している。
ヒューム/ロックの経験論⇔「純粋理性批判」1781
- 理性とは
- ホッブス「欲望の偵察者」
- ヒューム「情熱の奴隷」
- カントの考える理性
- 「いっさいの経験的目的にとらわれずに、ア・プリオリに法則を定める純粋実践理性」
- p.172 玄関の人殺し
- 人殺しに嘘をつくのは正しいか?
- ベンジャミン・コンスタン
- クリントン大統領の嘘
- カントの考える自由
- 「感性界に起因する判断から独立していることこそ(これは理性がみずからの特性と考えなければならないものである)、とりもなおさず自由ということ」
- 1982 集合的合意
第6章 ロールズ
第6章でようやくロールズが登場する。はじめに契約の自律と互恵性について触れ、双方の合意や同意を得るだけでは充分でない場合、また同意を得なくても良い場合を検証する。つづいて「完璧な契約」を成立させるためにロールズが考え出した「無知のベール」を取り上げ、それに対する疑義を提出する。
無知のベール
- 契約の道徳的限界
- ロブスターをめぐる契約
- 納品後に支払いをしなかった場合
- 納品を拒否した場合
- 契約直後にキャンセルした場合
- ロブスターをめぐる契約
- 同意だけで義務は発生するか?契約の道徳性
- 自律
- 互恵性
- 同意だけでは不十分な例
- 息子たちのベースボールカード
- トイレの水漏れ(おばあさんとぼったくりリフォーム業者)
- 同意が必須ではない
- ヒュームの家
- スクイージ・マン
- 利益?同意?
- 自動車修理工サムの例
完璧な契約とは
個別の事柄を知ることができるなら、恣意的な偶然性によって結果に偏りが出る……。公正な契約を生みだす原初状態とは、すべての当事者を道徳的人間として同じ位置に置き、平等に扱うものでなければならない。契約の初期状況を調整することによって、世界の恣意性を修正しなければならない。(ロールズ『正義論』)
ロールズの主張
- 無知のベール状態においては功利主義は選ばれないであろう
- →格差原理の採用
- もっとも不遇な人々の利益に資する社会的・経済的不平等のみを許容する
- →格差原理の採用
賭けに出るものはいない?
無知のベールという仕掛けを支えているのは、思考実験とは関係なく提示しうる道徳的な議論だ。簡単に言えば、それは所得と機会は道徳的に恣意的な要素に基づいて分配されるべきではない、という考え方である。
- 平等主義者ロールズからすれば、(持って生まれた能力のような)自然によるめぐり合わせでさえ、道徳的観点からみて社会的偶然と同じく恣意的である
- カート・ヴォガネット『ハリスン・バージロン』
- p.214 ミルトン・フリードマン『選択の自由』
第7章 アファーマティブアクション
第8章 アリストテレス
- 車イスのチアリーダー
- p.241 目的因(テロス)
- もっとも良い笛をもらうべきなのは、もっとも上手に笛を吹く人
- なぜならば、"笛はそのために存在する"のだから
- もっとも良い笛をもらうべきなのは、もっとも上手に笛を吹く人
- p.247 大学のテロスとは何か?
- p.248 政治のテロスとは何か?
- p.264 ケイシー・マーティンのゴルフカート(ゴルフの目的とは?本質とは?)