マネーの意味論

マネーの意味論

 1978年、バカンはサウジアラビアの紅海に面した港町ジェッダにいた。「フィナンシャル・タイムズ」の記者だったが、当地の「サウジニュース」という新聞も編集していた。ところが、事件はたいしておこらないし、情報もうまく集まらない。この地で働くアラブ人、エトルリア人ソマリア人、インド人にとって唯一の情報は、サウド王やファイサル国王の肖像が印刷された紙幣だったからだ。
 バカンは時間をもてあましていた。市場のスークで買いたいものといえば望遠レンズ付きのカメラと1本250リヤルするウィスキーくらいで、この地が示すポジショナル・グッズ(社会的なステータスを示す商品)にはまったく関心が動かない。ただ、スークに出るといろいろな国の紙幣が見えてくる。そうか、これがアラブの港町か。
 悪戯でもするつもりで行き交う紙幣やコインを集めてみた。イェーメンとイランのリヤル、クウェートイラクディナールアメリカ・ドル、フィジー・ドルマリア・テレジアのドル、ポーランドのズロチ、ロシアのルーブル、インドのルピー、イスラエルシェケルエクアドルのスクレ、メキシコとチリのペソ、フランスとスイスのフラン、そしてイギリスとトルコとエジプトのポンド‥‥。バカンはしだいにマネーについて考えるようになる。アダム・スミスも読んでみた。

 バカンがサウジに入った1978年というのは、翌年にカンボジアに隣国のベトナム軍が侵攻した時期にあたる。
 ベトナム軍がなぜこんなことをしたかといえば、毛沢東思想にかぶれた革命家グループ「クメール・ルージュ」が文明の象徴としての都市とマネーの廃止を宣言したからだった。
 この事件には、いまから思えば、のちに21世紀になって広がる現代のさまざまな現実的象徴が隠されていた。「クメール・ルージュ」が荒々しく仕立てた強制労働キャンプでは、集散民たちが椰子酒づくりや金掘りをしながら、村の縁(ふち)では死体を洗っていた。カンボジアの統括者たちはその威光と勢力を金歯に光らせ、手に高級腕時計を口にタイ製のタバコをくわえてピカピカのホンダ・モーターバイクをぶんぶん乗り回していた。
 この“特区”では紙幣は役に立たない。金(きん)がすべての頂点で君臨していた。金を紙のように薄いシート状にして、これをハサミで切って支払いに使う。その金はだから一ヶ所に滞留しない。カンボジアからしだいにタイのほうに流れていく。そのことでカンボジアに精米、缶詰、サロン(筒状のスカートのような男女の普段着)、化粧品、アルコール類が入ってくる。このことはのちのタイ経済を変えていった。
 ぼくは前夜に世界通貨の現状の流れをざっと紹介したけれど、基軸通貨がドルであろうとなかろうと、ユーロがどのように動こうとも停滞しようとも、こういうアンダーグラウンドな出来事はいまなお、どこででもおこりうるのである。ジャーナリストのバカンはそのような時代の淀みと歪みを横目で観察しながら、マネーの本当の忌まわしさと、そこにひそむマネーの意味をだんだん深く考えるようになっていく。

http://www.honza.jp/senya/1382