意味とシステム―ルーマンをめぐる理論社会学的探究

意味とシステム―ルーマンをめぐる理論社会学的探究

 「まさか自分が理論社会学の本を書くとはなあ」。それが今の感想である。

 つい十数年前までは、社会科学の大地の上を、構造機能主義やマルクス主義といったグランド・セオリー,巨大恐竜が闊歩していた。地面を踏み固め、木々をなぎ倒す。粗暴さに耐えかねて、一時期、数理のお花屋敷に居候したことさえある。ジュラシック・パーク,恐竜世界に比べると格段に良い場所で、今でもお付きあいがあるが、時おり「数式にあらずんば理論にあらず」的な除草剤が撒かれて、むせ返る日もあった。

 たしかに数理は最も論理的だが、それで表現できる範囲はあまり大きくない。社会科学にとって数理はやはりモデルであり、だからこそモデルと現実との間を的確に見定める必要があるが、それに数理は使えない。結局、明示的な定義をできるだけ織り込みながら日常言語を洗練させていくしかないと思った。

 そこで、お花屋敷の少し外の草原に一戸建てをたてて、「比較」「歴史」の看板をぶらさげて住むことにした。最初はただの草っぱらだったが、最近はだいぶ人口がふえて、ここを掘った、あそこを掘ったと「ナントカの社会学」の穴をよく見かける。繁盛するのは嬉しいが、ただ掘られても……。社会科学は人が人を観察し、人に語る営みだから、穴籠りされても困るのだ。地下を掘るのは基礎工事であって、目的ではない。

 しかたがないので、相談をうけたときは自分の棲家に使った部品を紹介していた。ドイツの「ルーマン商会」製である。昔「恐竜を倒すメカ恐竜ができます!」という触れ込みで輸入されたものだが、意外なくらい使える。雨露はしのげるし、花壇の骨組にもなる。壮麗なドーム建築だって造れる。

 しかし、使いこむうちに気になる点もでてきた。妙に反った板や巨大な背骨状の梁が混ざっていて、うっかり組むとメカ恐竜もどきが出来かねないのだ。

 それで「この辺は注意しましょう」という簡単な取扱説明書を書いたら、「あなたの使い方はまちがいだ」と言ってくれる人がいた。もっともなところもあったので、もう一度考え直してみたのだが、やっぱりメカ恐竜もどきは変だと思った。メカ恐竜風になればなるほど、論理的ではなくなって、建築物にならなくなるのだ。

 だから、そういう応答を書くことにした。それがこの本である。いただいた指摘もふまえて、重要な部品群の種類や特性を再検討し、不慣れな人でもわかるよう、日常語に近い説明書きもつけた。全体の取扱説明書も改訂した。本の後半には「こんな感じで建てられます」という見本集をつけた。いわば『今すぐ使えるルーマン商会活用キット』である。

 いろいろな用途で使えるように、部品の説明も取説も見本集も工夫したつもりだ。できるだけ論理的に組めるようにしたから、分解して別の形に組み換えることもできるし、説明書きがまちがえていた場合は無理なく訂正できると思う。

 キットの名前を考えたら、やはり「理論社会学」とつけるしかなかった。巨大理論でもない。数式でもない。もちろん、ただ事実を掘り返すだけでもない。「実証」を踏みつける恐竜時代の再来はご免だが、「理論」ぬきの穴掘り遊戯も面白くない。

 その意味では、現代において理論的に考えるとはどういうことなのかを、私なりに実践してみた本でもある。

(2008.11.6)       

http://www.keisoshobo.co.jp/news/n224.html

ロンドン論集とさいごの手紙

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