ふうん…

 私たちは、アートを私的所有に基づく市場財としてのみとらえることには違和感を持ちます。また、アートを経済学でいうところの公共財と定義することにも、やはり違和感があります。ここで、アートとは、ある集団における共同財ではないか、という仮説を立ててみましょう。私たちは、ある特定の社会集団の中で、自己や身体や社会についての意識を共有しています。アートが共同財であるなら、それを「みんな」で支えるしくみがどのようなものであるのかが問題となります。ここでいう「みんな」とは、この講座で私たちが考えてきた「市民」のことなのでしょうか。

 今年度の講座では、上記のような問いに発する議論を通じて、西洋近代に始まる独占的排他的な強い所有(私的所有)及び市場経済を前提とする社会システムとは違う「弱い所有」の原理がありうること、そして、アートが、あるいは、もう少し焦点を絞り込んで言えば、劇場、ホールや美術館博物館等の公立文化施設と呼ばれる存在が、多元的で多層的な公共圏の可視化を行う装置であることなどを示せたらよい、と考えています。

http://blog.goo.ne.jp/sotashuji/e/1e1f75863ce3be6939446bf03b206172
くだらん
コンテンツとパッケージとシステムを混同しておる


だがアートマネジメント分野ではこういう詭弁もときに必要となるんだろうかね?