マッキンリーの二人

「二人が見つかったようだ」という連絡をアラスカの日本領事館から5月24日にいただきました。6月2日に

母親と妹(円花)、叔母(母親の弟の奥さん)の3人で現地に向かいました。2日アンカレッジ着、日本領

事館の方にお会いし、いただいたご連絡を再度確認しました。ちょうどアラスカに滞在していた横山さん

(ギリギリボーイズ隊長)と落ち合い、3日にタルキートナ(マッキンリークライミングの拠点の町)に向かい

ました。タルキートナでは、今年彼らのルートの登頂を目指したwasabi隊の谷口さん、三苫さんが待って

いてくれました。総勢6人でタルキートナにあるデナリナショナルパークのレンジャーステーションで、去年

の捜索時にも中心になって動いてくださったジョンさんら画像を見せてもらいながら説明を受けました。

今年アメリカ人が遭難し、その捜索の中で、彼らの姿が発見されたそうです。去年の息子たちのときも

そうでしたが、捜索はデナリナショナルパークのレンジャーがセスナやヘリコプターで何千枚の写真を撮

ってきて、その画像をコンピューターで分析して探すという方法で行われました。その中の写真で息子

たちを発見してくださったのが5月21日のことだそうです。去年はとても寒い冬で、息子たちの捜索も

最初の数日間は悪天候のため飛べない状態でした。今年はとても暖かく、去年は雪に埋もれていたで

あろう息子たちの姿が現れたようです。山頂に近い5900メートルの地点です。といってもすぐにわかった

わけではなく、最初の写真では岩肌に何かある、彼らではないか、という状態で、再度高性能のカメラで

撮影に向かい、その写真を拡大して確認できたとのことでした。確かに最初の写真や去年の写真では

どんなに拡大しても岩肌にまぎれてよくわかりません。拡大した写真には息子の後姿(ジャケット・ズボン

・ザックの色から確認)とロープ、そのロープが上の方の岩にひっかかり、それをたどると下のほうに半ば

雪に埋もれた状態で人が背負った状態でのザックのようなものが写っていました。おそらくパートナーの

山田さんでしょう。この写真が見つかった際に、たまたま現地にいた横山さんにすぐに連絡がつき、

レンジャーステーションで彼自身が確認してくれていました。そのあとwasabi隊の皆さんも確認してくれ

ています。Wasabi隊の谷口さんと鈴木さんは、去年彼らがカヒルトナに行く前にウエイク山を登攀した

とき、ルース氷河で一緒に過ごしていましたので、横山さんたちと同じように彼らの服装などを熟知して

います。彼らが遭難した日は大変風の強い日だったようです。表層の雪がさっと流され足元をすくわれる

ような小さな雪崩がたくさん起こるそうです。そういう雪崩によるものか、あるいは強風に飛ばされたか。

岩の上にたたきつけられたような様子で、着地した際にはもう意識はなかったように思われます。

二人同時に何かが起こったのでしょうか? 彼らは山頂まで行き下山途中だったのではないか、

あるいは強風を避け、山頂には行かず横に逃げてノーマルルートへの近道を行こうとしたのか? 

いずれにしても、もうあと少しでベースキャンプに到着するというときの一瞬の出来事だったように思われ

ます。「早く帰ってあったかいもの食べよう!」と、二人の頭の中はそんなことでいっぱいだったのではな

かったでしょうか?息子の親しいクライマー仲間に支えていただいて写真の確認ができました。

とても危険な場所ですから遺体の収容などはできないことも理解できました。その日は珍しくとても晴れて

いたので、その後すぐに彼らの出発点であるカヒルトナ氷河にセスナで飛ぶことにしました。谷口さんが

同乗して説明してくださったので、彼らの登ったウエイク山をじっくり見、山頂近くまで飛び(風が強くて

とても近づくことはできません)、カヒルトナ氷河にランディングしました。氷河にセットしてあった望遠鏡

で、彼らのいるところをレンジャーが教えてくれました。ロープがはっきり見えました。画像を頭の中で思

い浮かべてみるとその先にある黒い点も見えました。急傾斜の斜面にロープがクッキリと浮かび上がって

いました。<まっすぐなもの>がほかにないので、望遠鏡で確認した後は肉眼でもロープの位置がしっ

かり見えました。神様に近い神聖な場所で、カヒルトナ氷河にいるクライマーを彼らは見渡しているので

しょう。絶妙のタイミングで「ここにいるよ!」と教えてくれた祐人に「よくやったね」と言いました。

今年4月27日に山田さんのご家族と私はアラスカに出発するwasabi隊を成田で見送りました。

その際手渡したいっぱいのメッセージを書き込んだ小さな鯉のぼりを彼らは山頂に立ててくれた

のでした。息子たちはそのメッセージに応えてくれたのでしょう。セスナを降り、タルキートナの墓地

に寄りました。クライマーの墓標があり、2008年の遭難者4人のプレートが新しく加えられていました。

二人の名前も刻まれていました。持っていったメッセージは、氷河から流れてくる川に流しました。

冷たいのに三苫さんが裸になって川の中ほどまで入って、私たちのメッセージを流してくれました。

その夜はタルキートナの「ラティチュード」という宿に泊まり、日本酒でささやかな追悼を行いました。

「ラティチュード」は植村直己が常宿していた宿です。昨年の捜索時、昨夏の家族での訪問、そして

今回と私は1年に3度もこのホテルに泊まりました。信じられないほどお天気に恵まれ、祐人の仲間と

一緒に彼らの行跡を見届けることができました。すべてのタイミングがピタッと合っていました。

二人がそうしてくれたのでしょう。6月3日には私たちのやるべきことがすべて済んでしまいましたので、

帰国予定日まで皆でキャンプに行くことにしました。翌日アンカレッジに戻り、5日朝からキーナイ半島

に出かけました。スワードというところにあるエクジット氷河の側でキャンプ、野生のムースに出会いまし

た。6日にはクルージングでオルカや鯨、パフィン、ラッコ、その他に出会いました。3回のアラスカ行きで、

私は本当にたくさんの動物に会ってきました。去年は真冬のようなアラスカでしたが、今年はお天気に

恵まれた快適な夏の旅でした。冬支度しかもって行かなかった私は暑くて、暑くて…。そうそうたる

クライマーの皆さんとこんなキャンプができるなんて、私たちが皆でアラスカを楽しむことが、きっと彼らの

供養になったと思います。達郎さんも祐人も私たちと一緒に楽しんでいたのかもしれません。

6日にアンカレッジに戻り、7日早朝の飛行機でwasabi隊と一緒に帰国の途に着きました。・・・・・・・・・・

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