風邪気味

朝、jkを送って帰る
朝の町並みを歩いているとなにかがわかったような、わからないような


思うように上がらないスピードに正直いらついている
誰のせいでもない、いらつくのは自分自身に対してだ


たかだか月200時間程度の負荷を遅滞の言い訳にしてるようじゃ、なにひとつできやしない
それなのに時の過ぎ去るスピードの速いこと速いこと
肉体や脳の衰えの、速いこと速いこと


あー


結局、なにかを為すために、そのための体制を整えてこなかった、そのツケか
いまさら後悔してもはじまらないが
まあとにかく、山に入るなら、フラットな状態で入りたいのだ
フラットでないままでは生死の境で正常な判断ができなくなりそうだ
「いく」「いかない」という判断に躊躇があっては死ぬ、そういうトコロに共に行く相手としては、やはり向いてなかったということか、お互い
こういうことは所詮言葉を尽くしたところでわかりあえるような事柄でもないのだし
「疑念」や「負い目」を背負ったままでは荷が勝ちすぎる


ザックの中身は、少しでも軽いほうが良い
頭の中身も


山も山以外の人生も、それほど区別して考えなくていいのかも知れない
それはただ"態度"の問題だ
自ら課題を見つけ、設定し、その為に体を作り、生活を作る
ルートを見つけ、或いは新たにルートを引き、生きるか死ぬかという判断を間断なく下す
誰かが設定したルートを飽きもせずなぞって満足するか、それ以上のなにかを求めるか
「いく」か「いかない」か「やる」か「やらない」か「あきらめる」か「あきらめない」か
はっきり言って、人生はどの山よりも困難な課題だ
ライミングを特別視するのは、山屋の悪いところだと思う
それはただ、より困難な課題に立ち向かう際の態度の問題で、それについて山だろうがそうじゃなかろうが区別などあるはずがない
Heavy&Slowで生きるかLight&Fastで生きるか
新しいことを受け入れ、シビアな選択をし、己を鍛える
つまりはそういうことなんだろう


ところで、人生についての俺の身体感覚はいつ戻ってくるのだろうか?