ふう…

風呂に入ったらやっと我に帰ったぜ!
この件について、俺を責むるのは、今後一切やめにしておいて頂きたい!
つうか、誰と誰がセックスしようが、「別にどうだっていいじゃねえかっ」「細けえこたぁいいんだよっ」という態度、ね、これ大事


あんなもなぁ、ただの(美しくもおぞましい)夢、のようなものなんだから、「お前、それ、夢なんだぜ?」って指摘はお門違いなんじゃね?ってことで、すいません
まあ夢から覚めなかったら、それはそれで問題なんでしょうが、そういうわけでもないですし
さらに苦しい言い訳を重ねるようですが、なんというか、下心、というより、その場の状況と、過去の個人的体験から得られた何がしか、と、いつでも心の奥底で渦巻くどす黒い欲望と、を重ね合わせた結果、きわめて自然に、というかむしろ、そうすることが自然であるという確信が生じたわけでして、その確信があまりにも真実性を帯びていたので、一切ためらうこともなかったというような有様でございます。。。


理性よ、さようなら


不思議なことに、あれやこれやのセックスは自分の中で完璧に整理がついておりまして、世間様的にどうであるかはさておいて、破綻も矛盾もしておりませんもので、ええ
どれにおいても、等しく、かけがえのない、美しい、しかし小っ恥ずかしくもある体験であって、それ以上でも、それ以下でもないのです
今のピュアで素直な俺様に比ぶれば、以前の、たとえば20歳のころの、俺などは打算と疑心暗鬼で今よりもずっと、もっと、もやもやどろどろとしていたんではなかろうか、などと思ったりもします
最近は、もう、ずっと思い出回路が働きっぱなしで、思い出、は現在をとっくに通り越して日々未来へと侵食しており、物事は、始まりながら終わっていき、起こったことも、これから起こるであろうことも、すべて"思い出"として変換されてしまう、そんな日常です。数年前までは、そんな過去である未来を先回りしては落ち込んだり、拒絶したりと、いうこともありました。が今はもうしません
すべてが、過去であり、未来であるなら、寄り添うことも、離れていくことも、等価なありようで、愛だの恋だのというみせかけの文脈に依存することをやめてしまえば、そこにはただ、二人の違った人間がいる、というだけのことに過ぎません
はじまることがないのなら、終わることもまたないのです。というよりはじまりは同時に終わりであり、はじまりなのか終わりなのかは、ただ、どちらからそれを見るか、という違いでしかない、と




ああー!!!チンコを挿れさせろ!!!