マクルーハン

メディアはメッセージである

あるメディアを選ぶことは、その人が必ずしも気付ないうちにそれを利用する目的の一部分でない影響を、その使用者に与えるようになる。メディアに余り熟知するとそれが持つ調停作用に‘麻痺’させられてしまう:‘見失ったものは分からない'。そのプロセスに麻痺している限り、その利用において‘選択’を働かせているとは言えない。このようにして、手段が目的を変えていく。メディアの選択によって強調または軽視される現象の中には、あるメディアを使う目的がある。ある場合には、特定のメディアの使用により、‘目的’は微妙に(そして見えないように)再定義されてしまうかもしれない。これは、手段は目的に合うように選ばれまたすべて使用者の管理のもとにあるという実用主義や合理主義と反対の立場にある。

 メディアのこの変換現象を知っているメディア理論家は、技術的手段やシステムはいつもそして必然的に‘それ自身が目的’になるマーシャル・マクルーハンの有名な格言、‘メディアはメッセージである’と同じ考えである)と断定的に主張する。そしてメディアをそれ自身が(機能と反対に)‘目的’を持つまったく自立的な実体として表す。

初心者のための記号論:はじめに