メタ化

メタ(meta-)とは、「高次な―」「超―」「―間の」「―を含んだ」「―の後ろの」等の意味の接頭語。ギリシャ語から。

たとえば物質界の現象を超越した世界を取り扱う学問を「形而上学」というが、これは英語でmetaphysicsであり、physics(物理学)の後の学問として存在する(詳しくは「形而上学」の項を参照のこと)。

メタ - Wikipedia

>もう一つのポイントは、相手を「メタ化」してしまうということです。
>
>「メタ化」とは、極めて平易に言うと「相手を one of them」と考えるということです。

メタ化とは形式回路だけをオンにして内容(意味感覚)をオフにした状態のことだ。


ふうむ…
どうやらググった感じだと"メタ化"という単語そのものは学術的に正確な表現(という表現もあいまいではあるが)ではないようだ
ドンピシャリという内容のページがない


メタ認知発達心理学or認知心理学における)

メタ認知(metacognition)とは、自分自身の認知過程(自分自身の内部で処理されている情報)を認知することを指します。自分自身を認知する自己意識(self-awareness)と密接に関連する概念です。

うっかり認知心理学の深みにはまってしまう危機をやんわりと回避しつつ…

異化効果

  劇作家ブレヒトが、1930年代にその演劇理論の中心をなす用語として使ってから一般化したことば。当たり前と思われる事柄を、見慣れない未知のものに変える趣向をいう。異化作用ともいい、同化作用の逆。ブレヒトは社会を変革する視点を強調し、観客が登場人物や物語に感情同化せず、距離をおいて批判的に観察するこの技法を自作に適用した。
( 扇田昭彦 演劇評論家 )

http://chiezou.jp/word/%E7%95%B0%E5%8C%96%E5%8A%B9%E6%9E%9C

 「世界定位の拒絶」としての「疎外された世界」――これはB.ブレヒト(1898-1956)の異化効果Verfremdungseffektと少なくとも一部、重なる概念である。異化効果は、ロシア・フォルマリズムの中でV.シクロフスキーが提唱した異化ostranenieから、ブレヒトが作った劇作の技法に関する造語だが、真の認識を促すために見慣れた対象を異常に見せ、先入見からの解放を意図している。異化効果はテクスト、演技、装置、演出、音楽などあらゆる分野で行われる。観客は出来事を当然の流れとして受け取らず、プロットとは別の可能性を考えることで新たな認識に到達するとされるため、感情同化やカタルシスが否定される。

http://www.geidai.ac.jp/labs/funazemi/terminology/grotesque.htm

いわゆるツンデレとは、異化効果を利用したキャラクター設定と言うことになる。

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 詩歌をつくるということは知覚する世界に促されて言語を配列し、そのつづけがらによって新しい意味を創設してゆくことである。知覚の認識と言語による認識との境界が曖昧であるのは、内なる言語による外の世界の認識がつねに相互構成的な創造的循環のなかに置かれているからである。

http://www.ne.jp/asahi/mizugamehp/mizugame/mg/kotoba/kotoba-o.htm

 矛盾過程説を唱えて、梶野玲王は文学(詩)と言語にかかわる八つの実体的定義をあげる。

(1)作品(詩)とは、正確には対象の表現ではなく、対象からうける印象の表現(認識)である。
(2)作品(詩)とは、知性的感性的表現(認識)である。
(3)作品(詩)とは、比喩的表現(認識)である。
(4)作品(詩)とは、相対的表現(認識)である。
(5)作品(詩)とは、論理的には、逆説的表現(認識)である。
(6)作品(詩)とは、心理的には、意外性にみちた表現(認識)である。
(7)作品(詩)とは、要するに、矛盾過程である。
(8)言語作品はみな、対象を呈示するとともに言語それ自体を呈示する。

http://www.ne.jp/asahi/mizugamehp/mizugame/mg/kotoba/kotoba-o.htm

メタ化とネタ化

定型的・形式的表現、つまりネタ的表現とはすなわち同化(感情移入)を拒み、見るものの視点を一段上の文脈へと引き上げ、書くもの、と見るもの、の間に一定の距離感を創出するものに他ならない
本意や本質はAAやコピペなどの定型的表現の中に埋没し、本来的意味とはかけ離れたカタチで表出し、定型的やりとりの中で昇華する
これらがより高度な言語的操作を要求する、のかどうかは現時点ではわからない