夏山後記

山屋というのは、概ね一般客を見下しているものだ。"一般客"という口ぶりからして既に、山屋の中では「登らないもの」との間に隔たりを置いていることがわかる。山屋には山屋のルールがあり、世界がある。しかしそれは様々なレベルと多面的な様相を持っているので、それぞれが思う「山」の姿はきっとそれぞれで異なった印象を持っているのだろう。年を経、回数を重ねて変わるのは、山ではなく私たちの方だ。
上高地にいる間に2件の遭難があった。吊り尾根から滑落した一人は亡くなったらしい。うまく言えないが、それはそれとして重くもなく軽くもなく受け止めている。
今回、いろいろなことを再確認してこれといった実績はなかったものの多くの成果を得ることができた。これからも山に登る機会を増やすべく努力したい。

山に登っている時は、山のことなど頭にない。目の前の山道も、降りしきる雨も、あたりの風景もまったく考えない。ただ「次の一歩」、そしてまた「次の一歩」と繰り返すだけだ。その「一歩」のことすら、考えている、というわけではない。歩法、ステッピングの技術というものは確かにあるが、突き詰めていけばそこでいう「技術」とは、「まったく考えないで」、「即座に」、「適切な一歩を踏み出すこと」でしかないのかも知れないと思う。つまりは、「淀みなく弛みなく歩むこと」だ。安全なルートを見極め、目に見える地形から最適なルートを瞬時に構築し、ただそれに従って一歩一歩歩む。けして難しくはないが、さりとて簡単でもない。