生意気

偉愚庵亭憮録/生意気, 2004.11.02
http://takoashi.air-nifty.com/diary/2004/11/post.html

「生意気に相当する英語は無い」という話をどこかで聞いたことがある。
 確かに、生意気(なまいき):一人前あるいはその地位でもないのに、偉そうなあるいはさし出がましい態度やふるまいをして、小憎らしいこと。(←岩波国語辞典より)ということを一語で表現する単語が、外国語の中に存在するとは思えない。単語として独立するには、意味内容に当たる概念が瑣末矮小だし、条件が細か過ぎる。←ポルトガル語では、「軸足と蹴り足を交差させる形でボールを蹴るこまっしゃくれた技巧」のことを「ラボーナ」と言ったりするが、それと同じぐらいに瑣末だと思う。 
 つまり、生意気というのは、極めて日本的な感覚なわけだ。
 その、極めて日本的な感覚からすると、低い立場の者は、一人前に振舞ってはならない。
 逆に言えば、高い立場(地位、年齢)にある者が低位者に対して高圧的にふるまうことは、少しも悪くない。悪くないどころか、むしろ上位者はすすんで下位者を叱咤せねばならない。
 封建単語、だな。
 弱い者いじめをベースとした人間関係。
 著しく日本的な身分意識だ。